線路を渡ろうとしたら、小さい子達が先生に連れられて待っていた。
踏切が上がっても渡る気配なし。
あぁ、電車を見ているだけなのか。
社会科見学第1回目ってところ。
そんなこんなで昔を思い出した。
私は長男で、次の弟が生まれるまで6年間は一人っ子でした。
それはそれはポンコツでしたね。
保育園の登園初日は雨。
確か、他の同級生より1、2ヶ月遅れて合流した記憶がある。
同級生の輪に入れずしどろもどろ。
親に捨てられたのかと思い途方に暮れる。
お昼寝の時間、油断して寝たら靴やカバンを盗まれると思い、両腕に抱えたまま寝なかった。
あんなポンコツも、茨の道を歩き、地獄の谷をくぐり抜け、今に至るのだから感慨深い。
初めてできた友達はこうちゃん。
親が大学の院に通うため2年間だけ富山から来ていた子。
彼は後に早稲田大学を卒業し、今では映像制作の仕事をしている。
今でもたまに仕事で助言をもらうこともある仲で、今でもゴジラが好きだ。
当時通っていた保育園の園長先生はなんと県議もやっていた。
だから毎年園長先生のカレンダーをもらっていた記憶がある。
その園長先生は後に上越市長となる。
出席簿を届けに行くと、今日の朝ごはんは何だった?と聞かれ、納豆ご飯とお味噌汁と答えるのが定番だった。
記憶に深い先生は、給食の先生(なぜか先生と呼ばれていた)と年中組の時の担任の先生。
給食はとても美味しく、親達からも絶賛されるレベルだった。
一番人気がレバーを使った料理だったことも今思えば優秀な調理師だったんだろう。
年中組の時の担任とは、なんと26歳の時に半年だけやった新聞配達で再開した。
先生は私を見てすぐ気付いたらしい。
元気っ子音頭覚えてる?って言われたけどさすがに・・・
と、これが私の34年前の記憶。
実は私、0歳から記憶があって、古い記憶をよく覚えている特性があります。
無事何事も無ければあと50歳は生きられるでしょう。
これからも、世界中を旅して沢山の経験と景色を記憶したいです。